あなたは山の中で、同行者が足首をひねって動けなくなった場面を想像できますか? 最寄りの病院まで数時間、携帯電話の電波も届かない——そんな状況で「何をすればいいかわからない」というのは、登山者にとって最も避けたいシナリオのひとつです。この記事では、山で起こりやすいケガや体調不良に対して、登山者が現場でできる応急処置の基本をお伝えします。
※本記事の内容は一般的な知識の紹介であり、医療行為の指導ではありません。実際の処置は医師・専門家の判断に従ってください。
「応急処置」と「治療」は別物——まず知っておきたい前提
登山中のファーストエイドで大切なのは、「治す」ことではなく「悪化させない」ことです。ここを誤解している方が意外と多いのですが、山の中で求められるのは、安全な場所まで移動できる状態を維持すること、あるいは救助が来るまでの時間を稼ぐことです。
たとえば骨折が疑われる場合、完璧な固定をする必要はありません。動かさない、これ以上悪化させない、そして本人の不安を和らげる——その3つが現場でのゴールです。「自分は医者じゃないから何もできない」と思い込むのは禁物です。逆に「自分が何とかしなければ」と焦って無理な処置をするのも危険です。冷静に、できることをやる。この姿勢がファーストエイドの基本になります。
もうひとつ重要なのが、処置よりも先に安全確保を行うという原則です。負傷者のそばに駆け寄る前に、落石や滑落のリスクがないかを確認してください。助けようとした人がもう一人の遭難者になってしまう事例は、決して珍しくありません。
山で多いトラブル別・応急処置の考え方
捻挫・打撲——最も遭遇しやすいケガ
登山中のケガで最も多いのが、足首の捻挫や転倒による打撲です。基本的な対応は「RICE」と呼ばれる4つのステップが広く知られています。
- R(Rest / 安静):患部を動かさず休ませる
- I(Ice / 冷却):冷たい沢の水で濡らしたタオルなどで冷やす(山では氷がないため工夫が必要です)
- C(Compression / 圧迫):弾性包帯やテーピングで適度に圧迫し、腫れを抑える
- E(Elevation / 挙上):可能であれば患部を心臓より高い位置に保つ
ただし、近年の医学的知見では冷却や安静の程度について議論もあります。あくまで応急的な目安として捉え、下山後は必ず医療機関を受診してください。
テーピングテープと弾性包帯は軽量で、ザックに入れておいても負担になりません。巻き方を一度練習しておくだけで、いざというときに大きな違いが生まれます。
出血を伴う傷——止血の基本
切り傷やすり傷で出血している場合、最も確実な方法は直接圧迫止血です。清潔なガーゼや布を傷口に当て、手で強く押さえます。多くの出血は数分間の圧迫で止まります。
ここでありがちな間違いが、途中で何度もガーゼを外して確認してしまうこと。せっかくでき始めた血栓が崩れ、出血が再開します。最低5〜10分は圧迫を続けるのが鉄則です。
可能であれば処置前に手を清潔にし、使い捨て手袋があれば着用します。傷口は消毒よりもまず流水で汚れを洗い流すことが優先されます。
熱中症・低体温症の初期対応
これらは外傷ではありませんが、山で命に関わる重大なトラブルです。共通して言えるのは、「おかしいな」と感じた初期段階での対応が結果を大きく左右するということです。
熱中症が疑われる場合は、日陰で休ませ、衣服を緩め、可能なら水分と塩分を補給させます。一方、低体温症の場合は風と雨を遮り、乾いた衣類に着替えさせ、温かい飲み物を摂らせます。ただし、意識がもうろうとしている場合の飲食は誤嚥の危険があるため避けてください。
いずれの場合も、症状が改善しない、あるいは意識レベルが低下している場合は、速やかに救助を要請する判断が求められます。「もう少し様子を見よう」という判断の遅れが、状況を深刻にするケースがあることを覚えておいてください。
※熱中症・低体温症の詳しい予防と対処については、当マガジンの別記事でも詳しく解説しています。
ファーストエイドキットに入れておきたいもの
「何を持っていけばいいかわからない」という声は多いですが、大切なのは中身を把握していて、使い方を知っているものを入れることです。持っているだけで使えないアイテムは、ただの重りになってしまいます。
日帰り登山であれば、以下のような基本アイテムが目安になります。
- 絆創膏(大小数枚ずつ)
- 滅菌ガーゼ・テープ
- 弾性包帯またはテーピングテープ
- 三角巾(固定・止血・日よけなど多用途)
- 使い捨て手袋
- 常備薬(持病がある場合は必須)
- ポイズンリムーバー(ハチ刺されへの初期対応用)
- メモ用紙とペン(発症時刻や症状の記録用)
なお、常備薬の種類や量は個人の体質・持病によって異なります。何を持っていくべきかは、かかりつけ医に相談することをおすすめします。
意外と見落とされがちなのがメモ用紙とペンです。いつ・どこで・どんな症状が出たかを記録しておくと、救助隊や医療機関への引き継ぎで大きな助けになります。
まとめ
登山中のファーストエイドで求められるのは、高度な医療知識ではなく、「悪化させない」ための冷静な判断と基本的な手技です。処置の前にまず安全を確保すること、完璧を目指すより確実にできることをやること、そして判断に迷ったら早めに救助を要請すること——この3つの原則を覚えておくだけで、いざというときの行動は大きく変わります。
ファーストエイドは、一度学んだら終わりではありません。定期的に知識を確認し、できれば実技講習を受けることが理想です。日本赤十字社や各地の山岳団体が開催する救急法講習会に参加するのもよい方法です。詳細は各団体の公式サイトで最新情報をご確認ください。
「自分は大丈夫」と思っている日こそ、備えの価値があります。あなた自身のためにも、一緒に山を歩く仲間のためにも、ファーストエイドの基本をぜひ身につけておいてください。
