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K2初登頂——「非情の山」に挑んだイタリア隊の栄光と闇

K2初登頂——「非情の山」に挑んだイタリア隊の栄光と闇

「非情の山」K2——エベレストより恐ろしい頂

K2、標高8,611メートル。世界第2位の高峰でありながら、登山の世界ではエベレストをはるかに凌ぐ恐怖の山として知られている。パキスタンと中国の国境に位置するカラコルム山脈の盟主は、「Savage Mountain(非情の山)」の異名を持つ。

その名の由来は詩的なものではない。1856年、英国陸軍測量局のトーマス・モンゴメリーがカラコルム山脈を遠方から測量した際、「カラコルムの2番目の山」を意味する記号「K2」を振った。他の山には後に現地名が採用されたが、K2だけは周辺に定住集落がなく、固有の名を持たないまま測量記号が定着した。名前すら与えられなかった孤高の峰——それがK2である。

数字がこの山の非情さを物語る。K2の死亡率は約23〜27%で、登頂者のおよそ4人に1人が命を落としている。エベレストの死亡率が約4%であることを考えると、K2はその7倍近い危険性を誇る。2023年時点の累計登頂者数は約800人にすぎず、1万人以上が登頂したエベレストとは桁が違う。周辺に拠点となる集落もなく、頻発する雪崩、山頂付近の猛烈な突風、そして全方向から急峻に切れ落ちる地形が、この山を世界で最も危険な8000m峰にしている。

敗戦国の威信——デジオ隊長とイタリア遠征隊の結成

1953年、英国隊がエベレスト初登頂に成功した。同じ年、アメリカ隊がK2に挑んだが失敗に終わった。この二つのニュースは、ある一人のイタリア人の野心に火をつけた。ミラノ大学教授のアルディート・デジオである。

デジオは1929年にK2周辺の科学調査を行った経験を持ち、イタリア政府にK2遠征隊の結成を進言した。第二次世界大戦の敗戦から10年足らず、国の威信回復を渇望していたイタリアにとって、世界で最も困難な8000m峰の初登頂は魅力的なプロジェクトだった。当初は財政的理由から却下されたものの、「国威向上のためにK2初制覇を目指すべきだ」との世論に押され、遠征は承認された。

軍隊式の遠征隊

デジオはイタリア山岳会(CAI)の全面的な支援のもと、イタリア全土からトップクライマーを集めた。選考は異例のトライアウト方式で、2回の合宿を経て11名の隊員が選ばれた。しかし、デジオの指揮スタイルには不穏な影があった。陰で「イル・ドゥチェット(小さなムッソリーニ)」と囁かれるほどの権威主義者で、隊員全員にリーダーへの忠誠を誓わせた。自身はベースキャンプから指揮を執り、アブルッツィ稜には一度も足を踏み入れなかった。

また、伝説的クライマーのリカルド・カッシンがチーム選考で落とされた。公式には静脈瘤と肝臓の問題が理由とされたが、実際にはデジオが自分の権威を脅かす存在を排除したためだと広く信じられている。

若き天才、ボナッティの参加

選ばれた隊員のなかに、24歳のヴァルテル・ボナッティがいた。最年少ながら、すでにイタリア屈指のクライマーとして頭角を現していたボナッティは、遠征隊の切り札的な存在だった。しかし、その実力の高さがやがて嫉妬と猜疑を呼ぶことになる。

アブルッツィ稜——8000mの死闘

1954年夏、遠征隊はパキスタン北部のバルトロ氷河を経てK2のベースキャンプに到着した。ルートはアメリカ隊が開拓した南東稜、通称「アブルッツィ稜」。1909年にイタリアのアブルッツィ公爵が初めて試みたこのルートは、技術的には最も現実的なアプローチとされていた。

しかし、K2はあらゆる局面で遠征隊を痛めつけた。標高6,000mを超えるとブリザードが容赦なく襲いかかり、雪崩の危険が常につきまとった。隊員の一人、マリオ・プーチョスが肺炎で倒れ、高所での搬送が間に合わず命を落とした。遠征隊で唯一の死者であり、仲間の死は残された隊員たちに重くのしかかった。

最終キャンプへの道

7月下旬、遠征隊は第8キャンプ(約7,740m)まで到達。ここから山頂アタック隊として選ばれたのが、40歳のアキッレ・コンパニョーニと29歳のリーノ・ラチェデッリだった。彼らは第9キャンプ(約8,050m)を設営し、翌日の登頂を目指す計画だった。

問題は酸素ボンベだった。山頂アタックには補助酸素が不可欠だが、重い酸素ボンベを最終キャンプまで運び上げる必要があった。この危険で体力を消耗する任務を命じられたのが、ボナッティとフンザ族の高所ポーター、アミール・マフディだった。

ボナッティの悲劇——裏切りの夜

1954年7月30日、運命の夜が訪れる。ボナッティとマフディは、それぞれ約18kgの酸素ボンベを背負い、暮れゆく空のもとアブルッツィ稜を登っていた。事前の打ち合わせでは、第9キャンプでコンパニョーニとラチェデッリが待機し、ボンベを受け取る手はずだった。

しかし、ボナッティがキャンプに近づいても、テントが見当たらない。コンパニョーニが打ち合わせよりも高い場所にキャンプを移動させていたのだ。薄暮のなか、声の届く距離にいたコンパニョーニらは応答したが、テントまでの道を教えることはなかった。暗闇が完全に支配し、ボナッティとマフディは登ることも降りることもできなくなった。

8100mの露天ビバーク

標高8,100メートル。テントも寝袋もない極限の環境で、二人は夜を明かすしかなかった。この高度での露天ビバークは、当時前例のない行為だった。氷点下40度を下回る気温、酸素濃度は平地の3分の1。生還できる保証はどこにもなかった。

ラチェデッリは後年、著書のなかで告白している。コンパニョーニがキャンプの場所を変えたのは意図的だったと。実力で自分たちを上回るボナッティに登頂の機会を与えないためだった、と。

夜明けとともに、コンパニョーニたちから「ボンベをそこに置いて下山しろ」との指示が降ってきた。ボナッティは酸素ボンベを雪面に残し、凍えた体で下山を開始した。マフディは重度の凍傷に冒されており、後に手足のほぼすべての指を切断することになる。

山頂と嘘——1954年7月31日

1954年7月31日早朝、コンパニョーニとラチェデッリはボナッティが残した酸素ボンベを回収し、山頂へ向かった。午後6時10分、二人はK2の頂に立った。世界第2位の高峰に人類が初めて足跡を刻んだ瞬間だった。

イタリアは歓喜に沸いた。敗戦国が世界で最も困難な8000m峰を制覇したのだ。コンパニョーニとラチェデッリは国民的英雄として迎えられた。

捏造された公式記録

しかし、栄光の裏で醜い隠蔽が進行していた。デジオが執筆した公式遠征報告書には、重大な虚偽が含まれていた。報告書は「酸素ボンベの圧力が低下し、山頂到達前に酸素が切れた」と記載し、さらに「ボナッティがボンベの酸素を不正に使用したため」と示唆していた。

これは事実に反する。ボナッティは酸素マスクも混合弁も持っておらず、ボンベから酸素を吸引することは物理的に不可能だった。さらに、後に公開された山頂での写真には、コンパニョーニが酸素マスクをつけたままの姿が写っており、「山頂前に酸素が切れた」という主張と矛盾していた。

嘘の動機は明白だった。コンパニョーニは、自分たちより実力が上のボナッティに初登頂の栄誉を奪われることを恐れていたのだ。ガイド出身で社会的地位の低いボナッティが脚光を浴びることを、隊の上層部は許容できなかった。

50年の闘い——真実と名誉の回復

ボナッティは公式記録の虚偽に対して直ちに異議を申し立てた。しかし、イタリア山岳会はデジオの報告書を公式見解として採用し、ボナッティの訴えを退けた。国家的英雄の物語を覆すことは、戦後イタリアの復興の象徴を傷つけることを意味していた。

ボナッティはやむなく法的手段に訴えた。名誉毀損裁判は彼に有利な結果をもたらしたが、CAIの公式見解は変わらなかった。ボナッティは登山界から距離を置き、ジャーナリストとして世界を放浪する道を選んだ。しかし、汚名を晴らすための闘いは決してやめなかった。

沈黙を破ったラチェデッリ

転機が訪れたのは2004年。50年間沈黙を守っていたラチェデッリが、ついに口を開いた。著書『K2: 征服の代償』のなかで、ラチェデッリはコンパニョーニがキャンプを意図的に移動させたこと、酸素に関する公式報告が虚偽であったことを認めた。ボナッティの主張は正しかった、と。

2007年、CAIは調査委員会「三賢者(I Tre Saggi)」の報告を受け入れ、改訂版の公式記録を発表した。ボナッティの説明が事実であることが、遠征から半世紀以上を経てようやく公的に認められたのだ。

ボナッティとマフディのその後

ボナッティはK2の後も偉大なクライマーであり続けた。1955年にはプティ・ドリュ南西壁を単独初登攀するなど、数々の偉業を成し遂げ、2011年に81歳で世を去った。彼の名誉は最晩年にようやく完全に回復された。

一方、マフディの運命は過酷だった。手足の指を失った彼は、パキスタンで困窮のなかに暮らした。K2初登頂を可能にした決定的な貢献をしながら、イタリアの公式記録ではその功績が長く軽視された。高所ポーターの犠牲の上に成り立つ登山の栄光——この構図は、現代のヒマラヤ登山においても変わらぬ問題として残っている。

K2の現在

2021年1月16日、ネパールの登山隊10名がK2の冬季初登頂に成功した。8000m峰14座のなかで最後まで冬季未踏だったK2がついに陥落し、ヒマラヤ登山史に新たな1ページが刻まれた。しかし、K2は今なお毎年数名の命を奪い続けている。初登頂から70年以上が経った今も、「非情の山」はその名に恥じぬ厳しさで登山者に対峙している。

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