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シェルパの歴史——ヒマラヤ登山を支えた民族

シェルパの歴史——ヒマラヤ登山を支えた民族

シェルパ族とは——「東の人」の起源

「シェルパ」という言葉は、ヒマラヤ登山のニュースでよく耳にします。しかし、シェルパが単なる職業名ではなく、固有の民族名であることは意外と知られていません。

シェルパ(Sherpa)はチベット語で「東の人」を意味し、もともとチベット東部に住んでいたチベット系の民族です。17世紀から18世紀にかけてヒマラヤ山脈を越えてネパールに移住し、エベレスト南麓のソルクンブ地方を中心に暮らすようになりました。標高3,000〜4,000m以上の高地に何世代にもわたって暮らしてきた結果、シェルパの人々は低酸素環境で優れた能力を発揮する身体的特性を持つようになったとされています。

19世紀まで、シェルパの生業は高地での放牧とチベットとの交易が中心でした。山は生活の場であり、信仰の対象であって、「登る」ものではありませんでした。彼らと登山の関わりが始まるのは、20世紀に入って外国の遠征隊がヒマラヤに足を踏み入れてからのことです。

荷運び人の時代——ヒマラヤ登山の裏方として

20世紀初頭、イギリスを中心とした欧米の登山隊がヒマラヤの高峰を目指し始めると、高所に順応した体を持つシェルパの人々がポーター(荷運び人)として雇われるようになりました。

1920年代からのイギリスによるエベレスト遠征では、シェルパたちが大量の物資を高所キャンプまで運び上げる重要な役割を担いました。やがて優秀なシェルパは単なる荷運びにとどまらず、ポーターの束ね役であるサーダー(隊長格)として遠征隊の運営を任されるようになります。

しかし、この時代のシェルパは登山隊の「メンバー」ではなく、あくまで「雇われた労働者」として扱われることがほとんどでした。危険な高所での作業を引き受けながらも、登頂の栄誉は遠征隊のクライマーに帰属するのが当然とされていたのです。

テンジン・ノルゲイ——エベレスト初登頂の立役者

シェルパの歴史を語るうえで欠かせない人物が、テンジン・ノルゲイ(1914-1986)です。ソルクンブ地方の出身で、1930年代からイギリス隊のエベレスト遠征にポーターとして参加し、経験を重ねました。

1952年にはスイス登山隊に同行し、当時の最高到達高度記録となる約8,599mに達しています。そして1953年5月29日、ジョン・ハント率いるイギリス遠征隊の一員として、ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとともに人類初のエベレスト登頂を達成しました。テンジンにとって7度目のエベレスト挑戦での成功でした。

「どちらが先に頂上に立ったのか」という質問に対し、二人は生涯を通じて「同時だ」と答え続けたと伝えられています。ヒラリーは1986年にテンジンが亡くなった際、外国人でただ一人、葬儀に参列しました。

テンジンの偉業は、シェルパが単なるポーターではなく、一流の登山家であることを世界に示した歴史的な転換点でした。テンジンは「ヒマラヤのタイガー」と称えられ、登頂後はヒマラヤ登山のサポート事業を展開するなど、シェルパの地位向上に大きく貢献しました。

知られざる犠牲——エベレスト死亡者の3分の1

シェルパの貢献を語るとき、その犠牲に触れないわけにはいきません。

エベレストで命を落とした人の約3分の1はシェルパだとされています。ルートの整備(ロープの固定やクレバスへの梯子設置)、高所キャンプへの物資輸送、酸素ボンベの補給——こうした最も危険な作業の多くをシェルパが担っています。

2014年4月18日には、ベースキャンプ付近のクンブ・アイスフォールで大規模な雪崩が発生し、16名のシェルパガイドが一度に命を落とすという、エベレスト史上最悪の単日死亡事故が起きました。彼らはルート整備のために先行していた作業員でした。

シェルパの多くにとって、高所登山は「冒険」ではなく「仕事」です。家族を養うための危険な労働であり、彼らが負うリスクに対して報酬が十分かどうかは、長年にわたり議論されてきた問題です。

エリートクライマーの時代——記録の主役へ

2010年代以降、シェルパの登山界における立場は大きく変わりつつあります。単なるサポート役ではなく、自ら記録に挑むエリートクライマーとして世界的な注目を集めるシェルパが次々と現れています。

カミ・リタ・シェルパ——エベレスト31回登頂

カミ・リタ・シェルパ(1970年生まれ)は、テンジン・ノルゲイと同じソルクンブ地方タメ村の出身です。12歳から荷運びとしてエベレストに関わり始め、1994年に初登頂を果たしました。以来、繰り返しエベレストに登り続け、2025年5月には31回目の登頂を達成し、自身の持つ世界記録を更新しました。8,000m峰の登頂回数は合計42回に達しています。

ニルマル・プルジャとK2冬期初登頂

2021年1月、ニルマル・プルジャ率いるオール・ネパール人登山隊が、冬期K2の初登頂に成功しました。K2(8,611m)はエベレストに次ぐ世界第2位の高峰で、遭難率の高さから「非情の山」と呼ばれてきた山です。冬期の登頂はそれまで誰も成し遂げたことがなく、この快挙はネパール人クライマーの実力を世界に示すものとなりました。

ニマ・リンジ・シェルパ——18歳で8,000m峰全14座登頂

2024年には、ニマ・リンジ・シェルパ(当時18歳)が8,000m峰全14座の登頂を達成し、史上最年少記録を更新しました。ニマ・リンジは「若い世代のシェルパたちに、単なるサポート役という固定観念から脱却し、一流のアスリートとしての可能性を示したい」と語っています。

かつては荷運び人として遠征隊を支える裏方だったシェルパが、今や登山史の記録を塗り替える主役となっています。登山ジャーナリストの中には、「今後の高所登山の主要な記録はシェルパによって独占される時代が来る」と予測する声もあります。

まとめ

シェルパ族の歴史は、ヒマラヤ登山の歴史そのものです。20世紀初頭の荷運び人として始まった関わりは、テンジン・ノルゲイのエベレスト初登頂で転換点を迎え、21世紀にはカミ・リタ、ニルマル・プルジャ、ニマ・リンジといったエリートクライマーの時代へと進化しました。

しかし忘れてはならないのは、輝かしい記録の陰に多くの犠牲があることです。ルートの整備、物資の輸送、クライアントの安全確保——こうした「見えない仕事」なしに、ヒマラヤ登山は成り立ちません。次にヒマラヤ登山のニュースを目にしたとき、登頂者の名前だけでなく、それを支えたシェルパの存在にも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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