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「日本アルプス」と名付けたのは誰か——北・中央・南が生まれるまで

「日本アルプス」と名付けたのは誰か——北・中央・南が生まれるまで

「北アルプス」「南アルプス」——あなたが当たり前に使っているこの呼び名は、いつ、誰が付けたものか考えたことはありますか? 地理院の正式名称は「飛騨山脈」「赤石山脈」であって、「アルプス」は本来ヨーロッパの山域を指す言葉のはずです。それが日本の山に当てられた背景には、明治時代の外国人登山家、英国人宣教師、そして日本の文人による100年以上にわたる名付けと再定義の歴史がありました。この記事では、「日本アルプス」の名前がどう生まれ、どう定着していったのかを順を追って解きほぐしていきます。

「アルプス」はもともとヨーロッパの山の呼び名

アルプス山脈は、フランス・スイス・イタリア・オーストリアなどにまたがる中央ヨーロッパの大山脈です。モンブランやマッターホルン、アイガーなど、近代登山の発祥の舞台となった山々が連なります。19世紀半ば、ヨーロッパでは「アルピニズム」と呼ばれる近代登山が一つの文化として成立しつつありました。

そのアルプスを知る当時のヨーロッパの旅行者・研究者にとって、明治期の日本の山々は驚きの対象でした。3,000メートル級の峰が数十座も連なる風景は、まさに「もう一つのアルプス」と呼ぶにふさわしい眺めだったのです。

命名者ガウランド——技術者にして登山家

「日本アルプス(Japanese Alps)」という呼称を初めて活字にしたのは、英国人技術者のウィリアム・ガウランド(William Gowland, 1842〜1922)とされています。

ガウランドは明治政府にお雇い外国人として招かれた冶金技術者で、大阪造幣局で長年勤務する傍ら、日本各地の山に登りました。立山槍ヶ岳など飛騨山脈の主要な山にも足を踏み入れ、登山記録を残しています。槍ヶ岳に外国人として初めて登頂したのも彼であるとされています。

ガウランドは、英国人日本学者バジル・ホール・チェンバレンらが編集した旅行案内書『中部および北方日本旅行者案内(A Handbook for Travellers in Central and Northern Japan)』(1881年)に、信州の山岳地帯の記述を寄稿。その中で飛騨山脈の山並みを「Japanese Alps」と呼ぶにふさわしいと記しました。これが「日本アルプス」という言葉が公の文献に登場した最初期の例とされています。

※ ガウランドが命名者とされる根拠は当時の英文ガイドブックであり、研究によって細部の解釈が異なることがあります。「最初に活字に残した人物」と理解するのが安全です。

ウェストンが世界に広めた「Japanese Alps」

ガウランドが種をまいた「Japanese Alps」という呼称を、世界に向けて大きく発信したのが英国国教会の宣教師ウォルター・ウェストン(Walter Weston, 1861〜1940)です。

ウェストンは1888年に来日し、布教活動の傍ら日本各地の山々を精力的に登りました。とりわけ上高地を拠点に、上條嘉門次という名ガイドの案内で槍ヶ岳・穂高連峰・前穂高岳などに次々と挑みます。そしてその体験を一冊にまとめたのが、1896年にロンドンで出版された『日本アルプスの登山と探検(Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps)』です。

この本は欧米で大きな反響を呼び、「極東に未知のアルプスがある」という事実が世界の登山家・旅行家に知られるきっかけとなりました。タイトルそのものに「Japanese Alps」を冠したことで、この呼称は一気に国際的な定着を見ることになります。ウェストンが「日本アルプスの父」「日本近代登山の父」と呼ばれる所以は、まさにここにあります。

小島烏水が定着させた「北・中央・南」の呼び分け

「日本アルプス」がガウランドとウェストンによって生まれ広まった呼称だとすれば、それを北アルプス・中央アルプス・南アルプスの三つに整理して定着させたのは、日本人の手によるものでした。その立役者の一人が、文人にして登山家の小島烏水(こじま うすい, 1873〜1948)です。

小島は1905年に発足した日本山岳会の創立メンバーの一人で、明治末から大正にかけて多くの登山記・紀行文を残しました。彼は飛騨山脈を「北アルプス」、木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を「南アルプス」と呼び分け、その呼称を山岳雑誌や著作の中で繰り返し使用。やがて登山界全体に浸透していきました。

現在の三つの「アルプス」

今では地図にも観光案内にも当たり前のように使われる呼称ですが、これも明治末から大正にかけての登山文化の中で、一人ひとりの書き手が言葉を磨き定着させた結果なのです。

なぜ「飛騨山脈」ではなく「北アルプス」と呼ぶのか

国土地理院の正式な山脈名は、「飛騨山脈」「木曽山脈」「赤石山脈」です。にもかかわらず、登山者・観光客のあいだでは「北アルプス」「中央アルプス」「南アルプス」のほうが圧倒的に通用しています。なぜでしょうか。

一つには、「アルプス」という言葉が高峻な岩稜帯のイメージを強く喚起することが挙げられます。3,000メートル級の岩峰が連なる景観を一言で表現するのに、「アルプス」ほどしっくりくる言葉はなかなかありません。地理用語としての「飛騨山脈」が中立的な区分を示すのに対し、「北アルプス」は登山者の世界観そのものを表す言葉として育ってきました。

もう一つは、登山文化の歴史そのものが「日本アルプス」という言葉と分かちがたく結びついて発展してきたことです。日本山岳会の発足、ウェストンの著書の翻訳普及、戦後の登山ブーム——そのいずれの場面でも「アルプス」という呼称が使われ続けてきました。地理院の正式名と並列して呼称が共存しているのは、それだけ登山者にとって意味のある言葉だからです。

まとめ

「日本アルプス」という名前は、英国人技術者ガウランドが1881年の旅行案内書で言及し、宣教師ウェストンが1896年の著書で世界に広め、文人・小島烏水が「北・中央・南」と整理して定着させた——という三人三様の貢献の積み重ねによって生まれた言葉です。一人の発明品ではなく、複数の人が時代をまたいで磨き上げた呼称なのです。

次に北アルプスや南アルプスに足を向けるとき、この言葉の背後にある明治・大正の登山史を少しだけ思い出してみてください。一つの呼び名にも、ヨーロッパから渡ってきた登山文化と、日本人がそれを受け止めて消化していく営みが詰まっています。山仲間と話すきっかけにも、きっとなるはずです。

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