メスナー、エベレスト単独無酸素——1980年、究極の登山

メスナー、エベレスト単独無酸素——1980年、究極の登山

1953年のエベレスト初登頂は、約400名の大遠征隊と酸素ボンベに支えられた総力戦でした。それから27年後、一人の男がまったく逆のことをやってのけます。仲間なし、酸素ボンベなし、固定ロープなし。ラインホルト・メスナーによる、エベレスト単独無酸素登頂です。

1980年8月20日。モンスーンの残るチベット側から、メスナーはたった一人で世界最高峰の頂に立ちました。多くの専門家が「人体には不可能」と考えていた登り方を現実にしたこの登攀は、登山という行為の限界そのものを更新した出来事でした。

「無酸素では登れない」という常識

標高8,000mを超える領域は「デスゾーン」と呼ばれます。気圧は地上の約3分の1まで下がり、人体は休んでいるだけでも少しずつ衰弱していきます。1953年以来、エベレスト登頂には酸素ボンベを使うのが当然とされ、「補助酸素なしで頂上に立つのは生理学的に不可能」と多くの医師が考えていました。

イタリア・南チロル出身のラインホルト・メスナーは、この常識に正面から疑問を投げかけます。彼は「酸素ボンベを使うことは、山を低くして登るのと同じだ」と考えていました。山を本来の姿のまま登るには、人間の側が条件をそぎ落とすしかない——それが彼の哲学でした。

1978年——まず無酸素で頂に立つ

1978年5月8日、メスナーはオーストリアのペーター・ハーベラーとともに、人類で初めて酸素ボンベを使わずにエベレスト登頂を達成します。「不可能」とされていた壁が、まずここで破られました。

しかしメスナーの挑戦はそこで止まりませんでした。無酸素で登れるのなら、次は人の手をいっさい借りず、たった一人で登れるか——彼の視線は、さらに先の「単独・無酸素」へと向かいます。

1980年8月20日、究極の単独行

1980年、メスナーはあえて登山者の少ないモンスーン期を選び、チベット側(北面)に入りました。ベースキャンプから上に、彼を支える隊もシェルパもいません。背負うのは最小限の装備だけ。すべてを自分の脚と判断にゆだねる、究極の自立型登山でした。

登攀の途中、彼はクレバスに転落しかけるなど死と隣り合わせの局面を越えていきます。酸素の薄さによる幻覚に苛まれながら、3日をかけて高度を上げ、8月20日、メスナーは単独・無酸素でエベレストの頂に到達しました。頂上で彼は疲れ果て、ただ座り込むことしかできなかったといいます。

単独・無酸素・モンスーン期という条件は、救助も支援もほぼ期待できないことを意味します。メスナーの登攀は卓越した経験と準備に裏打ちされた例外的なもので、安易に模倣できるものではありません。高所では「無理をしない」「迷ったら退く」が、何よりの安全策です。

メスナーが変えた登山の価値観

メスナーの登攀は、登山の「価値の物差し」を塗り替えました。それまでは「どの山に登ったか(高さ)」が重視されていましたが、彼は「どう登ったか(スタイル)」こそが問われるべきだと示したのです。

彼はその後、世界に14座ある8000m峰すべてを人類で初めて完登(1986年)。さらに南極大陸の徒歩横断やゴビ砂漠の単独行など、活動の場を広げていきました。大量の物資で安全を固める「包囲法」に対し、軽量・自立で一気に登る思想は、ヘルマン・ブールらの系譜を受け継ぐものでもあります。

記録より問いを遺した登山家

メスナーが繰り返し語ったのは、「危険を取り除いてしまえば、それはもう冒険ではない」という考えでした。安全と挑戦、装備と自立——テクノロジーで快適になった現代の登山において、私たちはどこまで山に「素手」で向き合うべきなのか。

毎年8月20日は、一人の人間が条件を極限までそぎ落として世界最高峰に立った日です。1953年の大遠征による初登頂と読み比べると、わずか四半世紀で登山の価値観がどれほど変わったかが見えてきます。あなたにとっての「良い登山」とは何か——メスナーの単独行は、規模の大小を問わず、すべての登山者にその問いを差し出しています。

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